読書家への道
「本の読み聞かせは、頭のいい子に育ちますよ。」
「読書量が多い子は、国語の成績もいいですよ。」
と、読書について何度も書いてきました。
お金をかけずに教育(最大限の効果を得る)
しかし、実は、私は読書家ではありません。
長年憧れは持っており、自分なりの努力はしていますし、本もよく買います。
なぜ私が読書に拘っているかというと、
すごく身近に読書家がおり、読書するものだけがなし得る境地というものを肌で感じているからです。
聞けば何でも返ってくる、言わば歩く辞書のような人に出会ったのは、私が19の時。
その知識量といったら半端なく、ジャンルも問いません。
知識に全く偏りがなく、聞けばどんなことでも返ってくる。
とても同じ年代とは思えませんでした。
その人は大の読書家でした。
読むのも速く、日頃から大量に本を読み、色々なことに興味を持っていました。
本を沢山読むと、こうなるのか…!
とても衝撃を受けたのが始まりです。
いいと思えば、すぐに実践!
その気持ちだけは十分にありましたが、
でも実際は、なかなか出来ることではないのです。
ただ本を読むだけなのに、なぜか難しい。
興味のない本は読みづらいし、ジャンルを問わずなんてもってのほか!
興味というものは、全ての行動の原動力であることを思い知らされました。
知らないから興味が湧かない。
興味がないから知ろうとしない。
どちらにしても、世界が一向に広がりません。。。
読書の力を間近で思い知っている私は、子供達を同じ様な読書家にしたくて、小さい頃から読書に拘ってきました。
長年の努力が実り、現在中学生の長女はジャンル問わずの小さな読書家になりました。
娘と主人の話に入れないことが小学校の高学年頃から出始め、
ちょっと悲しくもあり、情けなくもあり、自分のやってきた事が実り嬉しくもある、といった複雑な心境ですが、
やっぱり間違っていなかった!いう思いもあり、報われたような気持ちでいます。
そうです。
大の読書家とは、主人のことです。
私は現在子育て真っ最中で、ゆっくり読書という訳にはいきませんが、
なんとかして読書できないものかと試行錯誤しています。
読書の仕方に決まりなんてないんじゃない?と、
真っ向から本と対峙するのをやめ、
当たり前とも言える拘りを捨て、
自分流の読み方をすることで、少し気持ちが楽になりました。
◯ 短編は前から読みません。
◯ 実用書も前から読みません。
◯ 難しい本や、読みにくい文章は、あらすじをしっかり押さえてから読み始めます。
興味のあるところから読んだり、
興味を引いてから読んだりすることでなんとかやっています。
「興味がない本やつまらないと感じる本は、読む必要ないんじゃない?」と以前 主人に言われましたが、
そうすると、好きな作家さんの本しか読まないことになり、一向に世界が広がっていかないのです。
あらすじを押さえてから読むと、本はかなり読みやすくなります。
ネットで検索すればあらすじは大抵わかりますから、
なかなか本を読んでくれないお子さんには、使える手だと思われます。
興味を引いてから読ませるのです。
読書には、想像力と忍耐力が必要ですから、
読み慣れていないと字面を追いかけても肝心の内容は頭に入ってきません。
予めあらすじを知ることで、足りない想像力と忍耐力を補うのです。
答えを先に見てから問題を解くみたいで、おかしな読み方かもしれませんが、
本を読まないよりは全然マシです。
まずは、ハードルを下げることではないでしょうか?
そして、
勉強と同様、子供が勝手に本を読むようにはなりません。
「本を与える」この一手間が大事です。
↓ 斎藤孝さんが好きで、先日、本を買いました。
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その中で、読書時間ゼロの大学生が過半数を超えたと書いてありました。
これは、ちょっと恐ろしいデータです。
日本の大学生は、そんなに忙しくないはず。。。
読書がネットの時間に取って代わられた、ということなのでしょうね。
時代の流れに逆らうことはできませんが、放っておけば、日本人の学力低下に繋がるのは間違いないですね。。。
小さい頃からの読書習慣は、大人になっても残るはず。。。
いや、残ってほしい!
そう思いたいです。。。