挫けない子に育てたい!
何かを始めれば、失敗はつきもの。必ず上手くいくとは限りません。私が3匹の子猫達に一番望んでいること。
それは、「どんなことがあっても挫けないでほしい!」ということ!
最近、身の回りで色々な事が立て続けに起こって…。
今、私が一番強く思っていることなんです。
Contents
不登校が増えているという現実
ちょっと前に、先輩ママから聞いた衝撃的な事実。
その先輩ママは、中学生のママなのですが、お子さんが通っている公立中学に不登校の子供がいっぱいいるというのです。
中1は各クラスに1人の割合で、中2、中3になるほど増えていく。中3は各クラスに5人位はいるというから驚きです。
文科省が発表している数字よると、小学校で184人に1人。中学校で30人に1人。(2017) 小学校では、学年に1人なところ、中学では、クラスに1人は確実にいることになります。
不登校の定義は、年間30日以上連続又は断続的に学校をお休みすること。(病気や経済的理由を除く)
ですから、29日であれば含まれないことになりますね。ということは、学校に来れずにお休みしている生徒は、もっといるということです!
私は衝撃を受けてしまいました。地域差もありますし、学校によっても違うとは思いますが、増えていることは間違いないようです。クラスに1人。それが我が子になるかもしれないのです。
理由は様々ですが、子供達を取り巻く環境が、昔とは違っていることは明らかです。
大人がそういう環境を作り出しているのではないか…。
そう思えてなりません。
変化についていけない
もう、かれこれ20年近く前のことになりますが、私が会社で働いている時でさえ、時代のスピードについていくのが大変でした。求められることが目まぐるしく変わり、時代の流れの速さというものを肌で感じさせられました。
そして、みんな、そのスピードに振り落とされないように必死でしがみついていたんです。課長も係長も全員。飛ばされたり、異動したりする課員を気の毒な様子で見送りながら、安堵と次は自分かもしれないという恐怖。
戦々恐々です。
そして、振り落とされずに、その真ん中に居座った人が出世競争に勝ち残りました。
なんかこれ、子供の世界にも当てはまりそうな…。
アナログでいい
世の中、デジタルが溢れています。
でも、人間はいつまでたってもアナログです。
アナログでいい!アナログがいい!
アナログだから価値があるんです。
私は、ゆとり教育がいいとは思いません。中学受験組が勝ち組とも思いません。それよりも、みんなが同じ方向を向いて一斉に走っていることに歪さを感じます。
そして、
他人と違う意見を言いづらい。
そんな独特な日本の文化に窮屈さを感じます。
私は多数決が嫌いです。学校でいつも行われていた多数決。
だって、多数派が正しいとは限らないから。
その多数派は、本当にそうだと思っている人だけじゃないよ。
回りを見渡して決めている人。本当はどっちでもいい人。いっぱい混じっている。
私は少数派。
自分の意見を持ち、それが他人と違っても臆することはない。
でも、日本では生きづらい。だから黙って笑う。
「どっちでもいい派」を身に纏い、自分の色を消す。
だからね、私にとって、外国人ママとのお付き合いの方が楽なんです。
焦らずゆっくり着実に
今の子供達が何を考え、どうしたいのか。
実は、時代や環境が変わっても人間が考えることなんて、そう変わっていないのかなという気がします。
私は大人になってから大きな挫折を二度味わい、随分遠回りしながら生きてきました。人間は機械ではないですから、仕方がないです。
若い頃は受け入れられなかったことも、いつか受け入れられるようになっていきます。私はそれら全てを人生の糧にしたい。
イタリア語で「ピアノピアーノ」。
ゆっくりゆっくり。
イタリアにいるとよく言われます。
焦らずに、ゆっくりでいい。
イタリア人は人生の達人。楽しく生きる術を生まれながらに知っている。
アモーレ、マンジャーレ、カンターレ。
愛して、食べて、歌う。人生を楽しく生きる基本ですね。正確に言うと、アモーレは名詞だから「愛」なんだけどね。
中学生くらいのガキンチョが、通りすがりに「ケ ベッラ!ベッリーナ!」と囁く。(キレイな人っていう意味) 中学生のうちから外国人相手にナンパの練習です。日本人より100倍楽しく生きてない?
そんな文化に感化されて、留学している日本人がイタリア人化する。日本にいて、ロマンチックに愛を囁くなんて、日本男児にはできないでしょう?
もっと自分を自由に解き放ってもいいのではないでしょうか?
あの街に生まれ、美味しいワインと美味しい食べ物に囲まれたら、自ずとそういう生き方になるのかな〜。
来世はイタリア人に生まれたい。本気!
中学受験が吉と出るか凶と出るか…
中学受験を親子で無事に乗り越えられるのか?
その先に待っているものは、誰にも予想できません。
乗り越えたとしても、そのまま順調にいくとも限らない。
ドロップアウトするくらいなら、最初から公立中に行けば良かった?
結局、どんな選択肢も安泰ではないのですね。
最近、色々なことがあり、子供達には逞しく育ってほしいと頓に思うようになりました。刷り込みは私の得意技です。
「しぶとく生きろ!」
「雑草のように生きろ!」
毎日、何かの折に言っています。
子供達は、「わかった〜」と言いますが、きっと本当の意味はわかっていません。
でも、挫けそうになった時、どうしていいかわからなくなって立ち止まってしまった時、ふと思い出して、しぶとく生きてほしいんです。
私は、人生のアドバイスを親からもらった記憶がありません。母も忙しかったし、あの時代は基本的に放ったらかしでした。褒めて伸ばす!と叫ばれている時代でもなく、「可愛いね」とかそういった愛情はもらいましたが、具体的に何かを褒められた記憶は特にありません。
でも、言われて嬉しかった言葉が一つあります。
私をよく表していて、私のこと、わかっているんだ!と思い、心が何かでじわ〜と満たされました。
その何かは、母から認めてもらえたんだ!という承認欲求であったことを後から知りました。
「あなたは、転んでも絶対ただでは起きない。掴むものがなかったら、砂でも掴んで起き上がる」
そう。私そのものです。
だって、何か掴まなくちゃ転び損じゃない?
だから、転んだり、つまづいても、砂でもいいから掴んで必ず立ち上がってほしい。
肩の力を抜いて、アモーレ、マンジャーレ、カンターレ。
考え過ぎず、
明日をしぶとく生きる!
それでいいじゃない?